2006年05月06日
学生時代
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医師になったのは、24歳の春でした。
大学の6年間は、あきらかな劣等生で、
留年せずに卒業出来たのは、奇跡的でした(笑)
優秀な同級生のノートをコピーさせてもらったお陰で、
授業にもまともに出ていなかった私は、
ほんとうになんとか卒業できました。
その頃の医学部教育は、知識の詰め込み教育であり、
今でもそうかもしれませんが、
実際の臨床の現場に出ていくことは
とても少なく、なかなか
医師になるという実感が伴わないものでした。
お客さん的ではありましたが、病院実習が行われました。
脳外科、整形外科、小児科、麻酔科、
歯科口腔外科などなど多くの科を回って
実際の患者さんとお話をし、診察をさせてもらい、
カルテを見せてもらい、
治療方針を決める医局の検討会にも参加します。
その中で、記憶に残っていることは、
沢山ありましたが、今も記憶に鮮明に残っているのは、
小児科に入院していた女の子です。
その当時確か幼稚園の年長さんだったと思います。
私は、確か医学部5年生、23歳だったと思います。
無邪気な可愛い女の子でしたが、
そのまま放置すると心臓に問題が起こっていつか致死的になる、
でも手術自体にも致死的なリスクがある、
そのような状況でした。
ただおそらく現在なら、
かなり高い確率で救命できていたのでは、ないかと思います。
手術前の色々な検査、心臓の検査を受けていました。
実習生だった私は、ほぼ始めて接する実際の子供の患者さんで、
どう接したらよいか、よくわからないままに、
付き添われているお母さん、
とても可愛いその患者さんに挨拶しました。
今と違って、小さい子と接することが、
あまり得意ではない23歳の実習生にとっては、
毎朝彼女のベッドサイドに行くのに、
ドキドキしていたのを覚えています。
“お兄ちゃん、また来てね”と毎朝手を振ってくれました。
そんな事が毎日嬉しくて、
彼女の笑顔を見たくて、
毎日病室に通いました。
そして手術当日。
その日は、授業で朝の挨拶にはいけませんでした。
病棟では完全にお客さんでしたから、
手術でなにかあっても連絡が来ることもありませんでした。
病室へいくと、可愛い彼女の姿がみえませんでした。
個室や、集中治療室などを探してもおらず、
とうとうナースステーションにいって、聞くと、
この時ほど、自分の無力さ、現在の医学の無力さ、
そして自分の不勉強を恥じたことはありませんでした。
手術当日の朝も、
本当は、“おはよう!”っていけたのでなかったか。
授業だからと、言い訳にしてなかったのか。。。
きちんと勉強もせずに、彼女に実習で接し、
なにかコミュニケーションをとれた、
その事だけで自己満足をしていた自分が、
あまりにも不甲斐なく、
そして彼女を救えなかった医療に対して、
強い失望感を覚えました。
本当に不真面目な医学生時代に、
なんのために、医学部に入ったのか、
この先どうするのか、どうしないとだめなのか、
を突きつけられた“彼女の死“でした。
甘い、本当にあまちゃんだった、
自分の目を覚ましてくれたのは、
彼女でした。
今でも、本当に彼女の笑顔を思い出すことがあります。。
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コメント一覧
でも、(私を含めて)医療に関するお仕事は、他のお仕事よりは“ヒトの命”に近いと思います。
今の仕事で、患者様の苦しみを少しでも和らげることができればいいのではないでしょうか?
私は学生時代、いろんな人(院長さんのような)にノートを貸してあげるほうでした。
P.S.彼女の代わりにはなれませんが「にいちゃん」と時々は呼ぶようにしましょう(笑)。
そうですね。医療に関する仕事をしていると
”命"に対して考える事が、多い一方、
逆に慣れてしまうこともあります。。
気をつけたいですね。
ノート貸す立場ですか。。(憧)
それでは。。
胸にぐっときました。
私は,最初は,患者さんが亡くなると,元気だった頃,一緒に話した内容など思い出して涙していたのですが,1年もしないうちにそれはそれ,これはこれ。「死」という物の見方が変わりました。
患者さんが亡くなりかけると,どういうタイミングでご家族に声をかけようか。とか(最後は手をつないだり,体さすったり,してもらいたい),思い残す事がないように,とか,今日逝きそうだから,清拭は丁寧に,ひげもしっかりそっておこう。とか。
冷静ですね。。。。
ちなみに,私も,人にノートを貸す人でした。頭のレベルの次元が違いますが。
看護学校で唯一寝た授業は,今は亡きN先生の「糖尿病」の授業です・・・・・。
いや、むしろそれが、医療者じゃないかな、と思います。私も医師になりたての頃は、受け持ちの方がなくなると家族と同じ目線で、嘆き、悲しみ、私の場合は、その晩は必ず一人で飲みに行って、泣いてました。それで自己満足していた点が多々ありました。でも、暫くしてそうではないんじゃないかと、思うようになりました。亡くなった患者さんは、本当に私が家族の立場でのみ嘆き・悲しむことを望んでいたのか。医療者としてベストを尽くさず、家族と同じ目線で悲しむことで自己満足していないのか。だから、Sachileleさんが、されていることは正しいことだと思います。ただ医療従事者とて必要な処置をする中で、家族の視点をいつまでも持つことが必要だと思います。このバランスが、きちんとできているのが、プロフェッショナルな医療従事者だと思います。これからも頑張りましょうね。
それでは。。
院長先生もお辛い経験をされているのですね。
でも、彼女の事があって今の院長先生のお仕事の原点になっているのではないでしょうか。偉そうな事を言ってごめんなさいです。↑番頭さんがおっしゃるように初心忘れるべからずですね☆私も肝に銘じます。
辛いご経験の分も頑張ってらっしゃる。そう思います^^
ちなみに私は、ノートを借りたほうです^^;
いや、偉そうな事は言える立場ではありません。。でも時々原点を思い出すことは必要ですよね。
それでは。。
辛い経験は、沢山ありますが、
でも本当に辛かったのは、ご本人たちですから。。
ノート借りる立場、同じですね。。
まあ要領が良いってことですね(笑)
それでは。。
真剣なコメントありがとうございます。
そうですよね。
本当に。
姐 さまのやられている事も凄いな、と思います。
何故デイトレーダーとかが、駄目なのか、
その社長さんが話されているとおりですよね。
姐 さまの言葉、肝に銘じていきたいと
思います。
それでは。。
そうですよね。やっぱりどんなことでも
忘れてはいけない原点があるのでしょうね。
ありがとうございます。
(今朝コメントが飛んでしまってました(謝)
それでは。。
。・゚・(ノ∀`)・゚・。
人の生死にかかわるお仕事って、本当に大変ですよね。お互い真剣勝負だし。
おいらもいい意味での緊張感を忘れずに日々精進するです。
(`・ω・´)
いや、どんな仕事もベースは同じですよ、
きっと。。
頑張りましょうね。
お互いに、、。
あっ。
あべっちさまはダイエットも頑張ってください(真)
それでは。。
院長さまも大変なお仕事をなさっているのですね。
医学は日々進歩していると聞きます。
昔は助けられなかった命が、今なら助けられたかもしれない。
小さな女の子のお話
なんだかやるせない気持ちになりました。
お医者様にとっては日々向き合う患者さんの死・・・
院長さま頑張って下さいね!
コメント感謝です。
そうですね。
きっと今なら助かっていたと思います。。
生きていたら24-5歳でしょうか。。
私は、今は日々死と向きあう医療ではなく、
死を予防する医療を行っています。
お互いに日々頑張りましょうね。。
それでは。。
今まで医療従事者の方は、死をどのように受け止めるのか、辛くないのか、と思っていました。
というのも、私は本や映画では、感情移入してしまうので、能力もさることながら、医療の現場で仕事をするなんてとても出来ないと思っていたからです。
でもそれは、プロの医療従事者として、必要な処置と家族の視線を持つというバランスなのですね。
確かに、家族の立場で考えたとき、信頼できる医師に適切なアドバイスや処置をして欲しいという気持ちは強く持ちます。
その結果、愛しい人が死を迎えたとしても、医師に感謝することはあっても恨むようなことはありません。
しかしながら、そのバランス感覚を持ち続けるというのは、本当に難しいことだと思います。
そんな中、学生時代に出会った少女のことを時々思い出すという院長先生は、ピュアーな心をお持ちで素晴らしいと思いました。
コメントありがとうございます。
勤務医時代は、いつも死と向き合う必要がある科におり、いつもどうすればよいか考えていました。学生時代は、あまりにも不真面目にすごしていたので、その少女の死の意味が理解すら出来ていませんでした。現在は決してピュアーではないですが、バランス感覚の原点として自分の不出来な学生時代を思い出します。
また今後ともよろしくお願いします。
それでは。。

