2006年05月23日
呼吸器の医師になった理由1
医師は医学部を卒業した時点では、何科の医師にでもなれます。
どの科に行こうか、いろいろ考え悩みました。
小児科は、かなり心惹かれました。
脳外科とか、心臓外科とか、、。
決断する決め手がなく、まず内科に入局しました。
しかし内科といっても、循環器(心臓)、呼吸器(肺)、血液、消化器
、糖尿病などの代謝疾患、膠原病などの自己免疫疾患、などなど、
なにを専門にするのか、は全く決めていませんでした。
とにかく大学病院で研修をした後、
総合病院の内科でまず研修を希望しました。
その総合病院での内科で受け持たせて頂いた中で
最も印象が強い方が
若い診断が困難な間質性肺炎の方でした。
30台のその方は、軽い息切れと、軽度の筋力の低下で
診断目的で入院されました。
主治医は、医師になって1年目の私でした。
民間の総合病院の内科で半年程度医師として働いていて
少しだけ自信がもてるようになった頃です。
考えられるあらゆる検査を行い、診断をしようとしましたが、
なかなか病名がわかりませんでした。
ある程度の病気は絞られてきているのも関わらず
確診は出来ていません。
上司にあたる部長、医長先生にも一緒に診断にあたってもらいました。
ところが、その方の病状は日増しに悪化していきました。
少し歩くだけでも息切れ、歩く筋力も低下が進みます。
診断が出来ていない日々はおそらくご本人にとって
かなりの不安・恐怖であったのではないかと思います。
しかも主治医は頼りない若い医師の私。
毎日朝、昼、夕 ととにかくベッドサイドに向かいましたが、
私自身もどうお話しよう、説明しようと考えていると
気持ちが落ち込んできて、
行く足取りも重かったのを覚えています。
日増しに症状は悪化、
酸素投与が必要になり、その投与量もどんどん増えていきます。
想定される疾患に対して治療を開始したものの病状を改善させることが
できません。
文献を取り寄せ、カンファレンス
(医師が集まって難しい検討する会)でも、
何度も検討してもらいました。
しかし病状は悪化し、どうしても治療の効果がでません。
でもその方は、私にあまり、
不安や愚痴などを言うことはありませんでした。
おそらく相当不安だった思います。
本当にかなりいろんな治療をしてみたものの、
(その当時日本では認められていなかった治療を含めて)
結局
残念ながらお亡くなりになられました。
私にはそれが、かなりショックでした。
原因不明の間質性肺炎、
そんな病気がある、治療ができない、診断が難しい。
それがきっかけで、呼吸器科医になろうと思いました。
つづく
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コメント一覧
でもその方は、先生が誠心誠意直そうと
頑張ってくださってることも
充分わかって
満足されてたというか
納得されてたのではないかと思います。
うまくいえませんが、私だったらそう思います。この先生だったら。。。って。
病院の内科勤務医を長年やっていると人の死を扱うことは、日常になってしまいます。
つらいとか、段々感じなくなります。
医師になりたての頃は、辛かったですね。
ある意味家族以上に思い入れと、ふがいなさがありました。
まだほんとひよっこでしたから。
ほんと家族も、ご本人も、私も辛かったですね。
それでは。。
記事を拝見しながら、医師になりたての院長先生と患者さんの一生懸命な姿が思い描かれ切なくなりました。
だからといって何も書かずに帰るのも何なので、足跡だけ残しておきました。
いや、まあ、自分も若かったので。
本当に右往左往してました。
いつもコメント感謝です。
それでは。。
、、、、、。
いつもコメント感謝です。。
今日は腰大丈夫だったですか。
それでは。。
それに比べたら私の業界など気楽なもんですが、いつも精一杯やろうと思います。
そうかも知れません。
私が今の仕事をしている原点はこんなところにあるのかも知れません。
コメントありがとうございます。
それでは。。
いつもコメント感謝です。
つづき、、、頑張ります。。
それでは。。
色んな思いがあって、今の先生があるのですね。
人の命という大事なものを預かる職業だけに、神経の使い方が違うのでしょうね・・・。精神的にも強くないとお医者様は出来ませんね。お話の続き私もとても気になります。
コメントありがとうございます。
どんな仕事も同じだと思ってます。
ブログに自分のことを書くのは恥ずかしいですが、自分を振り返る良い機会でもあるので、
ぼちぼち書いていきます。
またよろしくお願いします。
それでは。。

